2005-05-01から1ヶ月間の記事一覧

見ることの哲学 見るぞパンティ

他者は自己の鏡像と連続的な存在であり、メルロ・ポンティのいうように、われわれは相互にまなざしを調整して、相手の身体において、わたしの「精神の双生児」を見出すのである。 双生児ーというのも、われわれはあいかわらず他者の<見ること>そのものの経…

サージアスの死神

主人公の華田は、パソコンでイラストの仕事をしている。ありきたりの日常のなか、昼飯を食いに外に出る。 そこに、水滴が落ちてきた。それとともに、人がビルから落ちてきた。 頭蓋骨に穴の開いた奴のナミダが、華田をぬらしたのだ。それとともに、彼は落ち…

津留晃一さん

津留晃一レポートより これまで人はまず社会というものがあって、その後に自分が生まれ出た、という観点から世界を捉えていました。その観点から見ると、「そうなっているから信じたのだ」と思うでしょう。そこで新しい観点の導入をしてみましょう。視点を変…

コトタマ万華鏡

コトタマ万華鏡 三橋一夫この本は、コトタマで世界を解釈する本です。読みやすいけれど、一つ一つの言葉の意味を考えているとわけがわからなくなります。 日月神示とヌース理論、神聖幾何学を結ぶという、画期的な本といえるでしょう。 この本に昨日書いた、…

鏡は上下左右ではなく、前後を逆転させる。それは、それぞれ、その方向に矢印を立てれば、わかることだ。 では、鏡から一メートル離れた位置で、自分の顔をみることにしよう。自分と自分の鏡像の距離は何メートルだろうか? 2メートル 鏡まで一メートル 鏡の…

へろへろ

四足から直立歩行になったとき、お尻がよく見えなくなった。そこで、女性の胸がお尻の様な形になったという。 花とは、植物の生殖器である。 以上のことから、人間の顔というのは生殖器の代わりではないかとの推測がされる。 目 と 口 女性はこぞって、目と…

あべこべの世界

僕たちは、何か原因があって、結果があると思っている。 果たして、そうであろうか? 今回の列車事故でも、現在わかっているのは結果だけで、正確な原因というのはいまだに調査中である。 事故があって、初めてその原因があるわけで、 事故なしに、原因はな…

ヌースセオリー

cave syndrome より引用 >視野空間(知覚正面)とは全く持って奇妙な空間である。科学的に見れば、視野空間は網膜に映った外界の風景像と見なせよう。しかし、そんな説明はヌース理論の見地からすれば全くの妄想、子供だましにほかならない。いゃ、もっと言…

鏡と皮膚 谷川渥

僕は、「世界は鏡である」と主張しているため、鏡というタイトルがつくだけで手にとってしまう。 この本は、スリリングでわくわくさせてくれる本です。 瞳とは人見である。他者の目を見ると、確かに瞳に、私が写っている。 相手はその瞳を通じて、私である人…

幸せになる方法

あなたの幸せが、僕の幸せです と以前の文章で書いたら、口説きの文句ですねといわれた。そういう文脈ではなかったが、口説きの文句としても最高の部類に入るかもしれない。次回は使いたいものだが・・ 僕は、エゴイストで自分だけが幸せになりたいと思って…