たわごと

プラシーボ効果というものがある。偽薬を病気の人に飲ませても、本当の薬だと思い病気が治ってしまう。

 ということは、病気は自分が作り出しているものに過ぎない。

 ということは、意識により世界を変えることができる。

 私という存在は、意識であり自我であるわけですが、記憶でもある。

 自己同一性を保つには、昨日と同じ人でなければならない。

 その記憶とは、なんでしょう。何を記憶しているのでしょうか?

 初恋の彼女の笑顔、高校に受かった時の掲示板、学園祭、結婚式、昨日飲んだビール等々いろいろな記憶がありますが、その記憶こそが私なのです。

 ですから、

 私とは、世界を見つめる視線に他ならない。私とは、この肉体の中に存在するものではない。私が世界なのです。私が持っている記憶とは、私固有のもので、それこそが私なのです。

 今見ている世界でも、その見つめるまなざしが私です。

 幸せな人は、幸せな世界を創造し、見ている。

 不幸な人は、不幸な世界を創造し、見ているに過ぎない。

 この世界、即ち私の世界におこる様々なことは、全て中立でそれに対し、私がいいとか、悪いとかの判断をしているに過ぎない。

 世の中が悪いということはなく、自分の意識がその出来事に対し悪いという価値観をつけているに過ぎない。

 世界におこる出来事に価値を決められるのは、私の世界では私以外にいない。それを、創造者といわずになんとよんだらいいのか。

 「世界」というリンクをお気に入りに入れました。パキスタン以外にも、この世界に様々な災害が起こっています。大きな災害は、今後生まれるであろう新しい世界に対する、地球の陣痛だと思います。

 一月に一度から、週に一度、日に一度大きな災害が起こるかもしれません。その一つ一つに動揺しないで、やるべきことをきちんとしたいと考えています。

 大切なのは、世界に対する視線であり、意識です。どんなことがあっても、「世界とは自分が見つめる視線」に他ならないのです。