あべこべの世界

僕たちは、何か原因があって、結果があると思っている。
果たして、そうであろうか?

 今回の列車事故でも、現在わかっているのは結果だけで、正確な原因というのはいまだに調査中である。

 事故があって、初めてその原因があるわけで、
 事故なしに、原因はない。

 いろいろな事件でも、先ず結果ありきではないか。それから、その原因を調べる。先に、原因を特定することは出来ない。

 いろいろな発見や発明でも、最初に結果がわかっていることが多い。それを説明するのに、あとから理由を考えるのだ。

 前にも書いたが、好きになるときには理由なく好きになるという結果が先にある。そして、あとから、やさしいから、とかかわいいから、とかいう理由を付けるのだ。

 お付き合いも「結婚を前提にお付き合いをする」

 付き合った結果ではなく、始めに結婚ありきなのだ。

 巷で流行る「ついてる」という言葉も、先ず「ついてる」ことありきではない。
「ついてる」といいましょうといっているだけなのだ。

 「ついてる」というのは結果である。その原因があとから。生じてしまうのだ。

 とすれば、やはりこの世界は「言葉」が作っていると考えられる。

 物があって、それに名前を付けるのではなく

 名があって、初めて物が創造される。

 言葉があって、その状態が創造されるのだ。

 

 だけど、僕たちは「原因があって結果がある」と思っている。