神との対話2
人として挑戦すべき最大の課題は「いまここで、あるがままに」ということだ。
ものごとを、でっちあげないこと!現在(つまりあなたが、考えるよりも先に、前もって<PRE>送られた<SENT>時についての考えを作るのをやめなさい。ただ、いま、そのときに身を任せなさい。
いいかね、今という時は、自分へのプレゼントだ。そこには、そうだいな真実の種がひそんでいる。あなたが、覚えておきたい真実だ。
だが、その時が訪れたとたん、あなたは考えをつくりあげようとする。
その時に身を任せるのではなく、外側に立って。判断を下そうとする。だから、反応する。前にした通りに行動する。
さて、反応(reaction)と創造(creative)の二つの言葉をくらべてごらん。二つが同じ言葉であることがわかるだろう。Cが移動しているだけだ!cが正しい場所にあるとき、あなたは反応するのではなく、創造する。
それぞれの瞬間をきよやかに、前もって考えたりせず迎えれば、あなたの過去を再現するのではなく、自分を創造することができる。
人生は創造のプロセスだ。ところがあなたは、再現のプロセスのように生きている。
過去の体験を無視して、その時にはいっていきなさい。ここで、取り組みなさい。新しい自分を創造するためには、いま何をしたいのか見つめなさい。
それが、ここであなたがしていることだ。この場所に、あなたは自分を知る為に、こうありたいと思う自分を創造するためにいる。それが、人生の目的だ。人生はいつまでも続く再創造(re-creation)のプロセスだ。
現在のほかに、時はない。このときをおいて、他に時はない。この瞬間をおいて、ほかに時はない。「いま」がすべてだ。
以上引用。
本に書いてあること、僕の書いていること、信じなくていい。信じるものが、あなたなのですから。
いまある自分というものを選択したのは、紛れもない自分自身だということ。
どういう境遇であれ、それを自分自身が選択した物で、責任は全て自分自身にある。なりたい、自分自身がいまここに存在している。
いままでが、こうだったから、いまあるというわけではない。過去と今は連続しているわけではない。瞬間瞬間が創造されている。
だから、いまのこの瞬間を生きる。
今この瞬間しかないのに、過去を憂い、未来を嘆く、だからそういう自分自身を今ここで自分が、作り上げている。
いまに生きているというかもしれない。しかし、そのほとんどの行動思考は、無意識に行っている。
足を組みかえるのも、体を左右に動かすのも、歩くときも、そして物事を判断するときも、無意識に「いつものランチ」ということななっている。
意識的に行っているのは、実に少ない。そのうえ、その意識を現在に置かないで、過去や未来、違う場所に飛ばしているのだ。あのときああすればよかった、あそこにいきたいなあ、あいつはいま何をしているだろうと、いつも、今ここ以外のことを考えている。
いま、ここを、見つめ、味わうことが喜びであるはずなのに、見ようとはしないのだ。
時間が連続と思っているから、過去と未来のことを考える。私の前に、時はない。時は私が味わっている、今しかないのだ。
意識的に、今を生きると面白い。いろいろと、かんがえないで済む。こういうことを言ったら悪いだろうと考える先に、話してしまう。
考えないで、先に行動が出てしまうのだ。そうすると、物事がスムーズに、思い通りに進むことを実感できる。
いつでも、ロードス島だ、ここで飛べ。考える前に、行動しろ。
日記を書いても、こういうこと書いたら笑われるよなあとか、変と思われるだろうなあと思ってしまう。そういう風に、自分を矯正するようになってしまっている。もっと変でいい、もっとめちゃくちゃでいい。
いつも、いい子でいたいがために、いい事を書こうとしている。
そういう判断をしてしまう。もっと、自由なのが楽なのに。自分で自分を縛っている。その紐自体もうないのに、表に飛び出せないでいる。
もっと、わがままに、もっと、はちゃめちゃに、もっと、ばかになろう。