津留さんが心から伝えたかったこと
「望みは100%かなえられる」という話を聞いたとき、それは本当だろうかと意識を働かせるかわりに、別のアプローチをとることもできます。
「過去の経験に照らし合わせたら、これはにわかに信じがたい。しかし、これが本当であるならば、まことに都合がいい考え方である」というアプローチです。
思った通りを体験するなら、自分にとっての都合の良い考えかたをしたほうがいいということになります。
そこで、この考え方を真理として受け止め、自分の経験のほうを疑っていくわけです。
「無条件に自分の思いが100%かなえられる」−これが正しいとしたら、今この瞬間は、自分の夢がすでにかなっている状態なのだ、ということになります。
「しかし、こんな現実、望んだ覚えがない」と感じているとしたら、それは意識的には望んでいなかったが、無意識的にこんな現実を望んでしまったのだという結論になります。
そうなると、自分の無意識的な想念を気にするようになります。こうなって、初めて、無意識的発想を「自分の中で、発見してみよう」という気持ちがうまれます。
そうなんです。想いを遂げようと努力するよりも、無意識的想いに気づく努力のほうが報われるのです。
それが、私がいつも言っている「想念を観察する」ということです。
毎日毎日、この想念観察を繰り返していると、どうなると思いますか。
「あっ、本当に自分の出している想いが現実に起きてきた」という感想が湧いてくるのです。
そのときには、発想が自然とかわってしまいます。変えようとしなくても、変わってしまうのです。
それに引き替え、これまで多くの人がやっていた「そうか、望んだことが100%実現するなら、強く望んでみよう」という態度は、望むものを手に入れる為には、逆のアプローチになってしまいます。
望みを叶えようとしている「自我さん」が残っているからです。
100%望みがかなうことを知っている人は、望みをかなえようとは、もはやしなくなります。
人生は想い通りになっている、と気づいたとき、想いそのものが消えてしまいます。
想いを遂げようとするのは、恐れからの逃避に過ぎません。恐れがなければ、想いを遂げようとは思わないのです。
以上、本よりの引用。
この引用の最後のほうは、耳が痛いかたがいらっしゃると思います。僕もそうでした。
プラス思考の本を読めば、たいてい「念じよ、想いは実現する」とあります。
紙に書いたり、コルクボードに写真をはったり、イラストを書いたりして、成功した状態を、すでに実現した物として思考している人は多いでしょう。
しかし、100%それが実現している人は、いないのではないのでしょうか。
世界は自分の世界であるから、自分の考えが反映されます。
成功したいという想いは、成功していないという想いの裏返しですから、願いが叶ったにしても、心が満たされることはありません。
それを、見続けるたびに心が苦しくなります。「成功するんだ」という想いが、自分に重く降りかかってきます。
人よりいい暮らしをしたい、人に認めてもらいたい、というのが本心ではないでしょうか。
他人に認めてもらうより、自分で認めればそれでいい。
いいんだ、このままで、いまのままで、このいまの現実というのは、自分の意識の結果なのだから、これを受け入れれば楽です。
人と比べるから苦しい。我々は、一人一人が世界を持っているわけだから、創造主といってもいい。すべてが、最初から自分の世界。
このままでいいんです、変えようとしないで下さい。
心からそう思ったとき、あなたは変わりはじめます。
これが、この世界のパラドックスなのですから。